いやー、驚いた。
仮にも全国紙の新聞1面で、
犯罪者でもない一個人を、
ここまで悪しざまに
罵りまくる記事など
読んだことがありません。
仮にも全国紙の新聞1面で、
犯罪者でもない一個人を、
ここまで悪しざまに
罵りまくる記事など
読んだことがありません。
産経新聞は、
国会の福島原発事故調査委員会での
菅直人前首相の発言を報じていますが、
まず見出しが『菅氏 反省なき強弁』。
そして阿比留瑠比記者の論説記事では、
「無反省さを改めて見せつけた」
「どこか人ごと。
自らが『人災の元凶』だった
との自覚はない」
自らが『人災の元凶』だった
との自覚はない」
「質疑の大半を
いかに責任逃れするかに費やした」
いかに責任逃れするかに費やした」
「言葉の端々から
不誠実な態度がのぞく」
不誠実な態度がのぞく」
「責任をなすりつけた」
「言っていることはブレ続けても
『反省のなさ』だけは
首尾一貫している」
『反省のなさ』だけは
首尾一貫している」
「自らの過ちを認めようとしない人ほど
たびたび過ちを犯す」
たびたび過ちを犯す」
・・・等々の罵倒が並び、さらに社説でも
「目に余る菅氏の責任逃れ」と題して
「責任はみじんも感じられず、
唖然とせざるを得ない」
と追い打ちをかけています。
一体何を根拠に、
ここまで「絶対正義」を
背負ったかのような
責め方ができるんでしょう?
そりゃー私だって菅直人は嫌いですよ。
数々の不手際があったのに、
それを正当化したがっているのも明瞭。
でも、じゃあ、もし自民党政権で、
谷垣総理だったら、もっとうまく
事故対応できたんですかね?
そしてもし谷垣総理の下で
このような不手際があったら、
産経はここまでボロクソに
罵ったんですかね?
もし谷垣だったら、東電の「全面撤退要請」
すら受け入れていたんじゃないでしょうか?
東電は「全面撤退」なんて言ってない
と主張してますけど、信じませんよ。
だって東電の言うことですもん。
あの時、東電本店に乗り込んで
怒鳴りまくるなんてことは、
菅直人にしかできなかったことでしょう。
菅は「叱責したつもりはない」
と釈明したようですけど、
「あの状況で怒鳴って何が悪い!」
くらい言ってもよかったんじゃないでしょうか?
阿比留記者は、
菅が3・11まで原発推進だったのに、
事故後に「脱原発」に変わったことを捕え、
「脱原発論者さえも
こう受けとめたに違いない。
『お前が言うな!』と」
と罵っています。
しかし、この理屈で言えば、
脱原発は3・11以前から唱えていた人
しか主張できないことになってしまいます。
よしりん先生でさえ3・11以前は
「安全神話」に
洗脳されていたと認めています。
私など、「清志郎、あの頃
冷やかに見ててごめん!」
と今更RCサクセションの
『カバーズ』を聴いてます。
菅直人だったからこそ、
3・11を期に豹変して
「脱原発依存」を言い出せた
のじゃないですか?
もし谷垣だったら絶対
そんなこと言いそうになく、
「原発維持」のままだった
としか思えません。
まあ、産経新聞としては
その方がよかったのでしょうが。
最後に菅直人は
「戦前の軍部に似た原子力ムラを
解体することが改革の第一歩」
と言っています。
あまり好きな例えではないですが、
外れているとは言えません。
支那事変も、一度動き出して
既に巨費が投じられてしまった
ビッグ・プロジェクトなのだから、
完遂の見込みが全く立たなくても、
撤退などできないということで
泥沼化していったわけで、
その点では同じです。
あの時に国のトップとして
「撤退」を叫んだというのは
すごいことであり、
それができたのも、
多少常軌を逸した
ヒステリックな性格を持つ
菅直人だったからこそ、
とは言えないでしょうか?
「自らの過ちを認めようとしない
人ほどたびたび過ちを犯す」
阿比留記者は偉そうに
書いていますが、
産経新聞はちゃんと
自らの過ちを認めるような
ご立派な新聞でしたっけ?
イラク戦争支持も、構造改革推進も、
未だに過ちを一度も認めてないはずですが?
そして今も過ちを繰り返してますよね、
原発推進、TPP賛成、皇統男系固執と。
菅直人だって、産経新聞だって、
だーれも自分の過ちなんか
認めるわけがないのです。
その上で、どっちがまだマシか
と問われれば、私は渋々ながら
菅直人と答えます。